土曜日, 11月 23, 2019
ホーム ニュース ゲーム 本日2019年9月23日は任天堂の創業からちょうど130年。時代の流れに応じて変化し続ける京都の老舗企業の歴史を辿る

本日2019年9月23日は任天堂の創業からちょうど130年。時代の流れに応じて変化し続ける京都の老舗企業の歴史を辿る

本日2019年9月23日は、ちょうど任天堂の創業(1889年)から130年。初期は花札やトランプの製造を行ってきましたが、今ではご存知の通りビデオゲームの会社として広く知られています。因みに任天堂は現在でも花札やトランプを製造・販売しており、現在もその分野では高いシェアを誇っています。

任天堂の歴史

任天堂のルーツは山内房治郎氏が1889年9月23日に京都市の下京区に創業した「任天堂骨牌」(にんてんどうこっぱい)(山内房治郎商店)。創業当初は花札の販売を手がけていましたが、1902年には日本初のトランプの製造にも着手しました。

創業当時の任天堂。

そして戦後間もない1947年、現在の任天堂株式会社の前身となる「株式会社丸福」が設立、1949年には病気で倒れた先代社長、山内積良氏の後を継ぐ形で「組長」の名で知られていた山内溥氏が社長に就任します。

その後1951年に「任天堂骨牌株式会社」の社名を変更。その12年後の1963年についに現在の「任天堂株式会社」に社名を変更します。

そして1960年代後半にはかるたやトランプ、花札に加え、玩具の製造にも乗り出すことになります。

有名なのがこの「ウルトラハンド」でしょう。これは当時任天堂にいた横井軍平氏が仕事の合間に作っていたものを山内氏が見かけて商品化するに至った製品で、実に140万個以上を販売し類似品まで出回る程の大ヒット商品になりました。このウルトラハンドの成功は任天堂が玩具の自主開発に乗り出す切っ掛けにもなりました。

そして1973年には業務用レジャーシステムの開発に参入、さらに1977年には三菱電機と共同で開発した家庭用ビデオゲーム機「カラーテレビゲーム15」と「カラーテレビゲーム6」を発売し、翌1978年にはアーケードゲームに参入するなどし、本格的にゲーム事業に乗り出します。

「カラーテレビゲーム15」

1980年には電卓の仕組みを生かした携帯ゲーム機の元祖とも呼べる「ゲーム&ウォッチ」を発売。8年間で約70機種を展開して4800万台以上を売り上げる大ベストセラーになりました

1981年にはアーケード版の「ドンキーコング」が稼働を開始し、初めてマリオが登場します。そして1983年7月15日にはあの「ファミコン」こと「ファミリーコンピューター」が発売。

コストと性能のバランスが取れたハードで、国内だけでも累計販売台数約1935万台、全世界で6000万台以上を叩き出した大ヒット商品になりました。また、1985年に発売された「スーパーマリオブラザース」は4024万本を売り上げ、「世界一売れたビデオゲーム」としてギネスにも登録されていました。

「ファミリーコンピューター」

創業からちょうど100年となる1989年には携帯ゲーム機「ゲームボーイ」を発売。発売当時は品薄になる程で、全世界で1億1869万台を売り上げる驚異の売行きを叩き出しました。

また当時としては画期的な通信機能を備え、通信ケーブルを用いて他のゲームボーイとデータをやり取りすることも可能でした。

「ゲームボーイ」

ゲームボーイと言えばその耐久性も有名で、湾岸戦争で爆撃を受けて倒壊した米軍の兵舎から見つかったゲームボーイは外装が焼け焦げてはいるものの、正常に動作していたというエピソードもあります。因みにこのゲームボーイは任天堂がニューヨークにて運営している直営店「Nintendo New York」にて展示されています。

焼け焦げたゲームボーイ。

1990年にはスーパーファミコンを発売。使用可能な色数や回転縮小機能を備え、「スーパーFXチップ」を搭載したロムカートリッジではポリゴンの表現が可能になるなど、さらなる表現の向上が可能となりました。またコントローラーにX、Yボタンが追加されたハードでもあります。

「スーパーファミコン」

1996年には「ニンテンドウ64」が発売。その名の通り、当時では珍しかった64ビットのCPUを搭載し、当時としてはかなり高いポリゴンの演算能力や描画を実現したハードでした。またアナログスティックが初めて搭載されたゲーム機でもあります。因みに本機とスーパーファミコンの公式サポートは2007年まで続いていました。

「ニンテンドウ64」

1998年には32,768色の中から同時に56色のカラー表示が可能となった「ゲームボーイカラー」が登場。赤外線通信機能も備えていました。

「ゲームボーイカラー」

その3年後の2001年には後継機の「ゲームボーイアドバンス」が登場。スーパーファミコンを大きく上回る性能を見せており、「ミクロ」を除いてゲームボーイとの互換性もありました。

「ゲームボーイアドバンス」

また同じく2001年には任天堂のゲーム機で初めてディスクドライブを採用した「ゲームキューブ」が登場。ピーク時のスペックよりも安定したスペックを重視した設計となっており、競合機であるPS2よりも高いパフォーマンスを誇っていました。

そして2003年には折り畳み可能な「ゲームボーイアドバンスSP」が登場し、2005年には「ゲームボーイミクロ」が発売。ゲームボーイアドバンスシリーズは全世界で派生機含め8151万台の販売台数を記録し、2004年に後継機の「ニンテンドーDS」が発売された後もしばらくソフトが登場していました。

「ゲームボーイアドバンス SP」
「ゲームボーイ ミクロ」

「ニンテンドーDS」が登場したのは2004年のこと。下画面にタッチスクリーンを備えた特徴的なゲーム機で、派生モデル含めて全世界で1億5,402万台というゲームボーイ以来の大ヒットを記録します。

本機は「お料理ナビ」や「脳を鍛える大人のDSトレーニング」などのソフトやゲーム以外の用途にも使えることもあってか、これまでゲームをしなかった層にもヒット。現代のスマートフォンの先駆者的な存在とも言える存在でした。

初代「ニンテンドーDS」

2006年にはより軽量になった「ニンテンドーDS Lite」が登場。そして特徴的なコントローラーのゲーム機「Wii」もこの年に発売されました。

「ニンテンドーDS Lite」

なんと言っても本機の特徴は「Wiiリモコン」と呼ばれる特徴的なコントローラーで直感的な操作ができることでしょう。Wiiリモコンは後継機である「Wii U」でも利用可能で、その特徴はNintendo SwitchのJoy-Conにも受け継がれています。

また64、ゲームキューブと前世代、前々世代と苦戦してきた任天堂が久々にトップシェアに返り咲いたゲーム機でもあり、全世界で1億163万台もを売り上げる大ヒットとなりました。

そして2008年にはカメラを搭載し、SDカードの差し込みやソフトのダウンロード、本体の更新も可能になるという大幅な刷新が図られた「ニンテンドー DSi」が登場し、翌2009年にはサイズを拡大した「ニンテンドーDSi LL」が登場します。なお本機ではゲームボーイアドバンスの互換性が廃止されています。

「ニンテンドー DSi」

そして2011年には3D液晶を備えた「ニンテンドー3DS」が登場。裸眼液晶を採用しており、新たにモーションセンサーやジャイロセンサー、スライドパッドなどを搭載し、スペックはWiiと同等かそれ以上にまでアップしています。また本機はニンテンドーDSとの互換性も備えています。

翌年2012年にはタブレットのようなコントローラー「Wii U Gamepad」を備えたゲーム機「Wii U」が登場。ニンテンドーDSのように2画面を生かした遊びや、Gamepadの画面のみを見てテレビを使わず遊ぶことも可能でした。

そして2017年にはNintendo Switchが発売。携帯ゲーム機と据え置き機ゲーム機のハイブリッド的な存在の新たなゲーム機で、場所を問わず遊ぶことができるのが特徴です。2019年8月にはバッテリーの持続時間の向上を図った新モデルも登場しています。

花札やトランプの製造から玩具の製造、そして現在のビデオゲームの製造と、時代の変化とともに変わり続けてきた任天堂。これからも末永く歴史を紡いで欲しいものです。

またこれらの歴史の一部は任天堂のホームページにも掲載されています。

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