金曜日, 12月 13, 2019
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大人気なのにオフ会0人。「大物Youtuber」として知られる有名人「syamu_game」氏が何者なのかを改めて解説してみる

インターネットで度々見かける「syamu」という名称。一体何なのだろうかと疑問に思った方も少なくないのではないだろうか。その正体はズバリ、Youtuberの「syamu_game」氏だ。

彼は「大物Youtuber」という名称で親しまれており、ゲーム実況や食品レビュー、カラオケ動画などの動画を投稿していたほか、小説の執筆やオリジナル楽曲の作成等様々な分野で活動していた時期もあった。

そんな彼だが2019年8月21日に惜しまれつつも活動を停止しており、現在ではニコニコ動画などの転載などでしか彼の動画を閲覧することができない。

実は2019年の引退から5年ほど前の2014年にも一度引退し、2018年に活動再開しているので今回の引退は2度目になる。「2度あることは3度ある」ともいうので、またいつか氏がYoutuberとして復活することに期待したい。

誕生〜Youtuber以前

能見島

syamu氏が生まれたのは1984年3月4日。生まれた場所は広島県の能美島であった。

よく大阪府出身と勘違いされることも多いが、現在の居住地である貝塚市に引っ越したのは氏が10歳だった1994年のことであ氏は貝塚市立の小学校と中学校を出たのちに大阪府立岬高等学校を卒業。するとコンピュータ関連の専門学校に進学したのだが、詳しい経緯は不明なもののそこで氏は中退してしまうこととなる。

中退後には就職し他のだがどれも長続きはしなかったようで、ライン工やヨットハーバーなど職を転々とした。更にそれに追い討ちをかけるように持病であるアトピー性皮膚炎や精神状態も次第に悪化していき、やがて無職となってしまった。

持病がある程度回復した後の2008年も求職状態は続いていたが、ライトノベル作家や作曲家を目指そうと「ライトノベル作法研究所」や楽曲投稿サイト「piapro」というサイトで自作の小説や音楽を投稿するなどし、彼なりに将来への道筋を立てようとしていた。

Youtuberに転向

しかしその活動は実を結ぶことはなく、新たな可能性を求めたsyamu氏は2010年に動画投稿者という道を選ぶことになる。

この頃はYoutubeの収益化の審査も緩く、ちょうど当時無名だったHIKAKIN氏が「Youtubeベストパートナー」に選ばれるなどして注目され始めた年であり、syamu氏が動画投稿に夢を見出すのも何ら不思議ではない。

2010年9月4日にニコニコ動画にアーケードゲーム「湾岸ミッドナイト3DX+」のプレイ動画を投稿したのを皮切りに、同年10月3日にはYouTubeでも活動を始め、フリーゲームやエミュレーターでのゲームプレイを収めたゲーム実況動画を積極的に投稿した。

なお「エミュレータでのプレイは違法である」というのを知って以降は中古のWiiを購入しそちらのゲームに切り替えている。近年ネット上でモラルのない行動を行いそれを改めない人も目立つ中、氏の行動は評価に値する。

氏は自身が無職であることに危機感を示していたのだが、実況していたゲームのひとつである「ドラえもん のび太のBIOHAZARD」(のびハザ)シリーズの実況プレイ動画がヒットし数十万回再生されるにつれて自信が大きくなり、その危機感は遠のいてしまったという。

因みに現在の「syamu」名義になったのは2012年1月からで、まだこの頃は「シン」や「月神」などの名義を利用している。

実写動画を投稿

2010年代前半になるとHIKAKIN氏だけに留まらず、大きな収入や知名度を誇るYoutuberが台頭していき、テレビやCMなどにもちらほらと出演するようになる。

syamu氏は彼らに追従すれば成功すると考えたのか、オーバーグラス(眼鏡の上にかけるサングラス)をかけ自身がカメラの前で商品レビューやカラオケなどを行う「実写動画」を撮影し始める。

だがその動画はほぼ編集なしの数十分に及ぶ長さでお世辞にも見辛く、視聴者の数は伸び悩んでいた。さらに動画では自身を過大評価する、女性視聴者に異常なまでに執着する、ジャム瓶に一旦口をつけたスプーンを突っ込むなどの常識を欠いた行動も目立っていた。

訪れる転機

しかしそんな動画だからこそ訪れた転機がある。これらの動画を「月影」という人物が「ホモと学ぶシリーズ」タグをつけてニコニコ動画に転載したのだ。

転載動画は徐々に注目を集めるようになり、氏の知名度は段々と高まっていった。もちろんあまりいい意味での注目度ではなかったが。

「ホモと学ぶ/見るシリーズ」というタグは「真夏の夜の淫夢」から派生したタグで、「淫夢」の愛好者とその動画を楽しむという趣旨のもの。それ故に「淫夢」関係ない動画が投稿されることも多く、そこからネットミームに派生したものもある。syamu氏もそのうちのひとつという訳だ。

因みにこのタグからsyamu氏が有名になったきっかけから、奇行の目立つYoutuberを晒す目的でも用いられるようになった。

そして2014年8月11日にイオンモールりんくう泉南(泉南イオン)で開催したオフ会が彼を一躍有名人へと押し上げることとなる。

このオフ会はsyamu氏がファンとの交流を狙って計画したもので、氏はオフ会前に投稿した動画などでファンが100人が集まると予想していたのだが、結果は参加者0人

しかし後にアップロードされたオフ会の様子を収めた動画は「ウイイイイッス!」という挨拶や数々の「名言」が視聴者のツボにハマり爆発的な注目を集め、オフ会0人という結果は「オフゼロ」と呼ばれ伝説となった。

「オフ会0人」でありながら「大人気」という矛盾した属性を抱えているのはこうした経緯が存在しているからだ。

知名度の上昇とその代償

とはいえいい意味で知名度が上昇した訳ではなかったため、やがて氏に対する嫌がらせを行う「ガチアンチ」も多く現れる。

彼らはネット上でsyamu氏に嫌がらせを行い、中には氏の住所を特定して直接的な嫌がらせを行う者さえいた。その中でも最も有名な嫌がらせは氏の引退の大きな原因となり得た2014年12月の「12.13 難波駅土竜遺棄事件」だろう。

この事件はsyamu氏のアンチが女性ファンになりすまし(いわゆる「ネカマ」)、syamu氏と会う約束をし、難波駅に放置するという悪質なものだった。

余談:長らく7時間待ったとされていたが、後に実際に待ったのは1時間程だと「ゆゆうた」氏との対談にて明らかにされた。

そしてその事件から5日後の2014年12月18日に、突如YouTubeのチャンネルを削除してYouTuberを引退した。難波駅で待たされたことではなく家族にまで嫌がらせが及んだのがきっかけという説もあるが、真偽は定かではない。

引退、そして復活へ

syamu氏の引退した翌年はTwitterへの再出現や「ツイキャス」での生配信などで時折本人が姿を表していたが、翌年にはネットで姿を見せることはなく、リアルでの目撃情報がたまに為される程度だった。

しかし2018年1月に突如として動画を投稿、坊主頭の姿で再びネットに姿を現し大きな話題となる。

そして同年の11月にTwitterアカウントを指導させ、実に4年ぶりに活動再開を果たす。この復活はネット上で大きなムーブメントを起こし、HIKAKIN氏や衆議院議員である丸山穂高氏も祝福の言葉を述べた。

syamu氏を巡る騒動

そして翌年2019年2月には実家を出て名古屋市で1人暮らしを始めることとなったのだが、氏の影響力に惹かれた者達がsyamu氏を我がものにしようと争奪戦を繰り広げることとなる。

syamu氏はこの頃二代目代理人への不満が溜まっていた。なぜかというと自身で思う通りに動画を編集をしたり、代理人の指示に従わなければならなかったからだ。実際二代目代理人が付いていた頃のsyamu氏の動画は以前とスタイルが異なっており、ネットでもそのような指摘や二代目代理人に対する批判が上がっていた。

しかしその一方で二代目代理人はsyamu氏の父親と掛け合い一人暮らしの支援や各種申請の代行、機材の貸し出しなどのあらゆる面でのサポートを行なっていたのでsyamu氏の主張はわがままではないかという意見もある。

それにつけ込んだ三代目代理人は密かにsyamu氏をそそのかし自身の元へ連れていく。この時期syamu氏の行動が不審だったのは代理人が変わっていたからだ。

そして二代目代理人はsyamu氏が誘拐されたことを明かすのだが、この騒動を受けてトラブルに巻き込まれかねないと判断されたのか、二代目代理人の手配で面談も控えていた大手マルチチャンネルネットワーク(Youtuberの所属事務所)のUUUMがsyamu氏との関係を見送ることを明らかにし、事実上の出禁措置が取られてしまう。

焦った三代目代理人とsyamu氏は六本木ヒルズまで赴きUUUMへの抗議を試みるのだが警備員に門前払いされ、syamu氏が代理人に借金を抱えていることや「生放送で200万円を稼いだ」という話が誤解であることを知ると三代目代理人は態度を変えてsyamu氏を見捨ててしまう。

その後syamu氏はしばらく行方不明になったのだが、2019年3月になんとか両親の元に戻ることに成功。謝罪動画を投稿しこの騒動に幕を下ろす。

この一連の騒動は「Fate」シリーズの聖杯(どんな願い事も叶える聖遺物)を巡る争いに例えられ、そのまま「聖杯戦争」と呼称されている。

誘拐騒動後

その後は以前と変わらないスタイルで動画を投稿、「以前の面白かったsyamu氏が帰ってきた」と好評で、2019年4月にはYoutubeから銀の盾(チャンネル登録者10万人のYoutuberに送られる)までの人気を博す。チャンネルも収益化され、月間の広告収入は40万円を超えていたとの推測もある。

しかしそれ以降段々と投稿頻度と人気は下落。2019年6月にはTシャツが販売されるも話題にはならず、同年8月11日のオフ会の日はほとんど話題にされなかった。

そして2019年8月21日に突如として引退を宣言。この日にYoutubeチャンネルを、数日後にはTwitterのアカウントを削除してインターネットから再び姿を消した。皮肉にもこの引退はネットで大きな話題を呼び、久々にTwitterのトレンドにも登場した。

振り返ってみると、2018年後半から2019年4月までの出来事は濃密だった。syamu氏が復活して三度ネットでの注目を集める日はやってくるのか。もう二度とこないのか。それはわからない。だがひとつ確実に言えることがある。syamu氏には人を焚きつける不思議な魅力がある人物だった。

YamauchiKazunori
ネットミームや動画、ときどきゲーム。

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